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トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館

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トヨタグループ館
トヨタグループ館. 1925年に建設された旧豊田紡織(株)本社事務所を修復し、豊田佐吉・喜一郎のゆかりの品や資料などを展示している

―― トヨタグループの発祥の地

1911年に豊田佐吉翁が自動織機の実験工場として設立しました。その後1914年に紡績工程を加え1918年豊田紡織本社工場として大々的に事業をはじめました。
事務棟の二階の会議室で1926年に豊田自動織機製作所、現在の豊田自動織機、さらに1937年にトヨタ自動車工業、現在のトヨタ自動車の設立総会が開かれています。
産業技術記念館が現在のトヨタグループの発祥の地であるということができるといえます。

799年にインド人が漂流して綿の種を(日本に)持ち込んだということから始まり、そもそも綿業が盛んな土地でした。一方、尾張藩はいろいろな技術者を抱えており、その人たちが明治になりますと金属加工技術を駆使してゆきました。そのひとつの例が掛時計の生産で、日本の6割以上の掛時計が名古屋で生産されました。
この地がたいへん綿業が盛んであったということで織機の需要も多かった。佐吉翁は湖西(静岡県)の方から名古屋に出てきました。

産業技術記念館のおおきな目的は、日本の産業史のひとつの例、すなわち繊維機械事業から自動車事業というトヨタグループが発展してきた過程を紹介することです。

―― 繊維機械館

豊田佐吉が1924年に発明、完成したG型自動織機

G型織機、これが最終的に佐吉の発明の行き着いたところです。この技術をイギリスのプラット・ブラザースという会社に供与することで、当時のお金で10万ポンド、日本円にして100万円を手にしてその資金をもとに豊田喜一郎が自動車事業に乗り出していきました。
レピア織機、レピアが右から糸をつまんで中央で左のレピアに渡す。動く距離が半分で横糸が通せるということで、1分間に400回横糸が通せるようになりました。
さらに時代が進みますと水を使ったウオータジェット、空気で横糸を飛ばすエアージェット、1分間に800回から1200回横糸を通せるようになりました。

―― 自動車館

自動車館

自動車館 試作工場. トヨタ初の試作車「A1型」のボデー試作(手叩き板金工程)の様子

繊維機械から自動車にトヨタグループは移っていったわけですが、佐吉の息子の喜一郎が自動車事業をやるということについて、いろいろ考えなければいけなかったかった。そのひとつが材料でした。自動車用の特殊鋼がなかなか供給してもらえませんでした。材料から入ろうということで喜一郎はトヨタ自動車工業ができる前、豊田自動織機製作所の自動車部の時代にすでに材料づくり、材料試験に取り組みました。豊田自動織機製作所の中に製鋼部をつくって実際に鉄をつくりました。そこで出来た材料を材料試験室をつくり、そこでねじったり、曲げたり、叩いたりして材料の確認をおこないました。
トヨタグループを構成している各会社が自動車づくりをするうえで材料を求めようとした中から発生し、それが独立して今のトヨタグループを形成しています。

当時プレス機がありませんので、ほとんどすべて手叩き、板金、これで溶接をしてさらに木型のゲージに当てはめて設計図通りに出来上がっているかということを確認したうえで組み立てをしていったわけです。話で聞いてもなかなか分かりにくいんですが、実際この試作工場に来ていただくと先人たちの苦労、努力といったものを感じていただけると思います。

―― テクノランド

テクノランドは、とくに若い人たちに目を向けてもらいたいと思っています。遊びながら織機ですとか自動車の機械の機構だとか理論だとか自然に学べます。
他の館にない特長だと思います。

―― 「研究と創造の精神」「ものづくりの大切さ」を伝えたい

私どもの理事長がトヨタ自動車の豊田英二最高顧問ですが、自分の小さい時、飴屋さん鍛冶屋さんだったりいろいろ物をつくる所を目の前で見えた。それが今は商品だけが店先で売られている。今の子どもたちは可愛そうだと言っています。当館で「ものづくり」の楽しさを是非伝えたい。
産業技術記念館は未完の博物館です。常に更新をし、先を見据えて充実してゆく。「研究と創造の精神」「ものづくりの大切さ」、この二点を特に若い人たちに伝えていければと思って、これからさらに充実してゆきたいと思っています。

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投稿日2013.02.06 再生回数 再生時間00:00:00
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