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中山道と坂祝町の史跡

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中山道 太田宿
脇本陣(林家住宅)
林家は江戸中期、脇本陣を勤めるかたわら庄屋として尾張藩太田代官の指揮下で宿の行政事務を取り、質屋や味噌・溜の製造販売も営んでいた旧家

太田宿へ-坂祝町

うとう峠を下り、国道21号線に合流した中山道を木曽川沿いに進むと、左手の山の岩盤を 削った所に岩屋観音が木曽川を見下ろすように祀られている。 岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中山道の旅人たちにも厚く信仰されていた。 19世紀始めに建立されたと推定されている。
岩屋観音から木曽川の上流を見渡すと勝山湊跡が一望できる。 木曽川の勝山湊と中山道という水陸交通の要衝を持つ勝山はかつて間の宿として栄えた町だ。
そこから北に500mほど登ると 猿啄城跡の登口に着く。猿啄城は、永禄8年(1565年)8月織田信長の中濃攻略により 落城、信長の家臣川尻肥前守鎮吉が城主となったがやがて廃城となった。 猿啄城跡の登口から山頂までの登山道を登ると眼下に木曽川の絶景が楽しめる。 勝山から1.5kmほど北にある十二社神社の境内にある深萱農村舞台は、 拝殿と狂言舞台を兼ねた農村舞台で舞台の中央に回り舞台がある。残念ながら昭和33年 を最後に現在は上演されていない。
ふたたび中山道にもどり西へ進む。追分から600m余りで取組の一里塚跡に着く。 現在は川の脇に標識が立っているだけだ。 一里塚跡をすぎると、中山道の南に平行するように日本ラインロマンティック街道が 太田宿へと延びている。

  • うとう峠出口付近うとう峠出口付近
  • うとう峠出口うとう峠出口
  • 岩屋観音岩屋観音
  • 岩屋観音岩屋観音
  • 勝山湊跡勝山湊跡
  • 猿啄城跡(史跡)猿啄城跡(史跡)
  • 猿啄城跡(史跡)猿啄城跡(史跡)
  • 猿啄城跡(史跡)猿啄城跡(史跡)
  • 深萱農村舞台深萱農村舞台
  • 深萱農村舞台深萱農村舞台
  • 深萱農村舞台深萱農村舞台
  • 取組の一里塚跡取組の一里塚跡
  • 猿啄(さるばみ)城展望台と木曽川猿啄(さるばみ)城展望台と木曽川
  • 御嶽山方面御嶽山方面
  • 坂祝町と美濃加茂市坂祝町と美濃加茂市
  • 坂祝町坂祝町

太田宿

美濃加茂市に入ると、中山道は国道21号線と分岐し右手に入る。左手に深田神社と 芳春寺が並んでいる。深田神社の本殿横の小道を進むと深田神社石像庚申像が置かれて いる。
芳春寺から木曽川沿いに約300mほど行ったところがクランク状になっている。 太田宿の西の入口付近だ。そこにあるのが虚空蔵堂その境内には坪内逍遥ゆかりの ムクノキの大木がのびている。またこのあたりは、承久三年(1221)に起こった 「承久の乱」の木曽川合戦で、後鳥羽上皇率いる朝廷軍と 鎌倉幕府軍が、木曽川を挟んで戦った古戦場(可児側が幕府軍・太田側が朝廷軍)。 このあたりが戦場の北端であったといわれている。
虚空蔵堂に北にある太田宿の中心部市立太田小学校の敷地は、かっての 尾張藩太田代官所のあった所。明治の文豪坪内逍遙先生生誕の地でもある。 明治の文豪、坪内逍遥は安政六年(1859)、尾張藩太田代官所の手代、平之進の 十人兄弟の末子としてこの地で誕生した。隣接する「逍遙公園」には坪内逍遙 の顕彰碑が建てられている。
虚空蔵堂の前をクランク状に曲がり、 国道41号線の高架下をくぐり、また左手にまがると目の前に高札場跡が見えてくる。 高札場の西横は西福寺の参道、入口西横に郡上街道追分道標がある。 「右 関上有知 左 西 京伊勢 道」と刻まれ、明治26年(1893)に 名古屋の塩問屋、伊藤萬蔵が建立したものだ。
下町にある高札場跡を右にまがり、中町へと進む。中町の中山道の両側には本陣、 脇本陣が道を挟むように並んでいた。 中町に置かれた本陣は、明治時代には太田町役場が置かれた。 太田宿本陣門は、文久元年(1861)皇女和宮が十四代将軍家茂に嫁ぐため 中山道を通ったときに新築された。現在、太田宿本陣門の向かい側には 太田宿中山道会館があり、中山道太田宿の歴史文化・江戸時代の宿場や 旅の様子など貴重な展示物をご紹介している。
中山道会館の敷地の東隣りに脇本陣(林家住宅)が江戸時代の面影を残し建っている。 林家は江戸中期、脇本陣を勤めるかたわら庄屋として尾張藩太田代官の指揮下で 宿の行政事務を取り、また、家業として質屋や味噌・溜の製造販売も営んでいた旧家。 最盛期には、東西25間の間口、土蔵9棟、馬屋3棟、離れ座敷などを持つ壮大な構えであった。
中町から上町に入ると江戸時代末期に建築された、旧旅籠小松屋の吉田家住宅が あり内部が公開されている。その向かいには十六銀行 旧太田支店の建物が残されている。 明治40年に建設され、昭和40年までの58年間、地元の繁栄に貢献してきた。 建物の内部には、金庫がそのまま残されている。
この先の枡形右にあるのが祐泉寺。滝場観音や太田稲荷、帯解地蔵などがある臨済宗の寺院。 境内には芭蕉、坪内逍遥、北原白秋の歌碑がある。

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太田の渡し

祐泉寺から約1kmほど行った、美濃加茂文化会館の裏手の敷地に古井一里塚跡の標識が 建てられている。さらに木曽川沿いに進むと太田の渡しのあったあたりに到着する。
太田の渡しは、中山道の難所のひとつとして「木曽のかけはし、太田の渡し、 碓井峠がなくばよい」とうたわれた。渡船場は、時代とともに何度も場所や 姿を変え、昭和2年(1927)に太田橋が完成することで役割を終えた。 太田橋のそばの木曽川沿いにある石畳は当時の様子を忍ばせている。

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投稿日2013.02.05 再生回数 再生時間00:00:00
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