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中山道垂井宿と垂井町の史跡

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中山道垂井宿と垂井町の史跡
中山道垂井宿

伊富岐神社一の鳥居~一里塚

伊富岐神社の一鳥居の前を過ぎると垂井町に入る。伊富岐神社は根元の周囲約9.6m 、 高さ約30mの大木で古来より御神木として仰がれている。
垂井町に入り国道21号線を渡るとすぐ右側に浅野幸長の陣跡と垂井の一里塚がある。 浅野長政の長男である幸長は、東軍に加わり、池田輝正らと岐阜城を攻略、合戦当日には 南宮山の西軍に備え一里塚付近に陣を構えた。一里塚の東に隣接する日守の茶所は、 常盤御前の墓所(関ヶ原町)にあったものを明治になって、一里塚隣りに移したもの。 人々の休み場として、昭和のはじめまで盛んに利用された。

  • 伊富岐神社一の鳥居伊富岐神社一の鳥居
  • 伊富岐神社伊富岐神社
  • 伊富岐神社大杉伊富岐神社大杉
  • 伊富岐神社大杉伊富岐神社大杉
  • 浅野幸長の陣跡と一里塚浅野幸長の陣跡と一里塚
  • 浅野幸長の陣跡と一里塚 左手日守の茶所浅野幸長の陣跡と一里塚 左手日守の茶所
  • 浅野幸長の陣跡と一里塚浅野幸長の陣跡と一里塚
  • 日守の茶所日守の茶所
  • 日守の茶所日守の茶所
  • 日守の茶所日守の茶所

垂井宿

日守の茶所から500mほど進んだ右手が垂井宿の西の入口であった垂井宿西見附跡。 大名行列などを迎え、また非常時などには閉鎖された。安藤広重はこの見付付近から 描いた版画の傑作を残した。その先左手にある本龍寺には、明治初期に西町から 移転された金岩脇本陣門と玄関を山門にしている。また門前には高札場があった。 本龍寺の向かいの油屋宇吉家は文化末年(1817年頃)建てられた間口5.5間、奥行6間の 商家、油商売を営んでいた。
街道を進み、南宮大社に通じる参道の手前左に 200年ほど前に建てられた由緒ある旅籠「長浜屋」が公開されている。 このあたりが垂井宿の中心、毎年5月2、3、4日にわたって垂井曳やままつりが行われる。 八重垣神社の祭礼の見ものは3輌のやまと子供歌舞伎狂言だ。 南宮大社一の鳥居は、高さは7.15m、内幅は約4.5mある大鳥居。 南宮大社の参道を南に下り右手にあるのが玉泉寺。境内に隣接する垂井の泉と大ケヤキは 名が知られている。
中山道に戻り、 一の鳥居を右手に見て、本陣跡の碑にいたる。垂井宿本陣は、178坪の建坪を持ち、 玄関や門、上段の間を備える広大なもの。垂井宿の本陣職をつとめた栗田家は、 酒造業も営んでいた。その先にあった問屋場は、間口5.5間、奥行7.5間の大きさ。 金岩家は、代々彌一右衛門といい垂井宿の問屋、庄屋などの要職を勤めていた。 そこから30mほど行くと、二百年ほど続いた、旅籠 亀丸屋が 現在も営業している。
相川を渡る手前に垂井宿東見附があった。相川橋を渡り右手に 折れると、中山道と美濃路の追分にいたる。ここから1.5kmあまりで垂井町から大垣市に 入る。

  • 垂井宿西見附跡垂井宿西見附跡
  • 垂井宿西見附跡垂井宿西見附跡
  • 垂井宿西見附跡垂井宿西見附跡
  • 垂井宿西見附跡垂井宿西見附跡
  • 本龍寺本龍寺
  • 本龍寺・高札場跡・金岩脇本陣門本龍寺・高札場跡・金岩脇本陣門
  • 本龍寺・高札場跡・金岩脇本陣門本龍寺・高札場跡・金岩脇本陣門
  • 本龍寺 金岩脇本陣門本龍寺 金岩脇本陣門
  • 油屋宇吉家跡油屋宇吉家跡
  • 油屋宇吉家跡油屋宇吉家跡
  • 旅籠長浜屋旅籠長浜屋
  • 旅籠長浜屋旅籠長浜屋
  • 旅籠長浜屋旅籠長浜屋
  • 旅籠長浜屋旅籠長浜屋
  • 垂井曳やままつり垂井曳やままつり
  • 垂井曳やままつり・子供歌舞伎狂言垂井曳やままつり・子供歌舞伎狂言
  • 南宮大社一の鳥居付近の蔵南宮大社一の鳥居付近の蔵
  • 南宮大社一の鳥居南宮大社一の鳥居
  • 玉泉寺玉泉寺
  • 玉泉寺・垂井の清水・大ケヤキ玉泉寺・垂井の清水・大ケヤキ
  • 玉泉寺・垂井の清水玉泉寺・垂井の清水
  • 玉泉寺・大ケヤキ玉泉寺・大ケヤキ
  • 本陣跡本陣跡
  • 本陣跡本陣跡
  • 問屋場跡問屋場跡
  • 問屋場跡問屋場跡
  • 旅籠亀丸屋旅籠亀丸屋
  • 旅籠亀丸屋旅籠亀丸屋
  • 垂井宿東見附跡垂井宿東見附跡
  • 垂井宿東見附跡垂井宿東見附跡
  • 相川の人足渡跡相川の人足渡跡
  • 相川相川
  • 中山道・美濃路追分中山道・美濃路追分
  • 中山道・美濃路追分中山道・美濃路追分
  • 中山道・美濃路追分中山道・美濃路追分
  • 中山道・美濃路追分中山道・美濃路追分

南宮大社周辺

南宮大社一の鳥居をくぐり、参道を進むと大鳥居が参道をまたいでいる。 さらに進み南宮大社楼門の前に来る。南宮大社は旧国弊大社で美濃国一の宮。
関ケ原合戦で社殿のすべてを焼失。寛永19年(1642)、3代将軍徳川家光が再建したと いわれている。南宮大社の南側西寄りにある南宮山に、関ケ原合戦で西軍の総大将 毛利輝元の名代として毛利秀元は、15000人を率いで陣を構えた。
南宮大社の境内の北側の道を登ると真禅院の山門があらわれる。 真禅院本地堂と真禅院三重塔は国の重要文化財。

  • 南宮大社大鳥居南宮大社大鳥居
  • 南宮大社と周辺南宮大社と周辺
  • 南宮大社楼門南宮大社楼門
  • 南宮大社拝殿・高舞殿南宮大社拝殿・高舞殿
  • 真禅院真禅院
  • 真禅院真禅院
  • 真禅院本地堂(重要文化財)真禅院本地堂(重要文化財)
  • 真禅院三重塔(重要文化財)真禅院三重塔(重要文化財)

*記述にかんしては、垂井町教育委員会制作の案内板を参考に記載しました。また、記述の訂正等に関しては、タルイピアのご協力を得て修整いたしました。

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投稿日2013.02.06 再生回数 再生時間00:00:00
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