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安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その4

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安井俊夫氏-2005年日本国際博覧会協会事務次長(1997年~2005年)
安井俊夫氏-2005年日本国際博覧会協会事務次長(1997年~2005年)
2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)は、誘致決定から開催にいたる過程で主会場の変更など様々な難題を乗り越え2005年3月25日から同年9月25日まで開催され目標を大きく上回る入場者数をの来場を得て終了しました。旧来の「開発型」「国威発揚型」の万博から「自然の叡智」(環境保護)をテーマに環境保護を掲げた、新しい博覧会のスタイルを確立したと評価されています。
2015年に10周年を迎える愛知万博を迎えるにあたり安井 俊夫氏 (2005年日本国際博覧会協会 事務次長)に取材を行い、幼年期の戦争体験、愛知県庁職員時代のエピソード、愛知万博の誘致決定から開催にいたる経過、未来への愛知万博の理念継承など、現場の第一線で指揮を執られた安井氏ならではの体験談をシリーズでお伝えする企画です。

安井俊夫氏 プロフィール

昭和12年 愛知県に生まれる
昭和36年 中央大学法学部卒業
愛知県庁に勤務し、芸術文化や福祉関係の部局長、教育長を経て 平成9年から「2005年日本国際博覧会(愛知万博)協会」の事務次長 を務める。

平成16年からは愛知総合看護福祉専門学校(もりのがくえん)校長に就任、学生から「モリゾー先生」と呼ばれている。
平成19年 瑞宝小綬章受賞。

著作等

昭和39年「新広域行政論」(第一法規出版)-村田敬次郎、武村正義、小寺弘之氏と共筆

昭和48年「人間と環境-21世紀社会への道」(中部開発センター) 社会部門担当

平成25年「黒ネコもりハナ物語」(文芸社)

第4回

-インタビューの内容を要約して記事にしています-

副知事秘書に

昭和39年(1964)に鈴木礼治さん(1983-1999愛知県知事)が、自治省から愛知県に来られ私の上司として課長になられ1年、一緒に仕事をさせてもらいました。ちょうどその時、国連のワイズマン国連調査団が来て東海と北陸を結ぶ自動車道の提言を行いました。
昭和40年の人事移動のころ鈴木課長に呼ばれ、大変なことになった副知事(松尾信資さん-1963年~1970年在任)が私を秘書にほしいといっているとの話でした。私は秘書には向いていないと固辞して鈴木課長に辞退の意を伝えてほしいと伝え、課長も同意見だったので、副知事のところに行ってもらいました。課長が帰ると「敵は強硬だ、俺が秘書にするといっているのに余分な口出しはするな」と言われたとのこと、断るなら私に言って来いと伝えられ、自分で副知事のところへ行きました。副知事は、「心配するな、俺と2年つきあえ。その代わり、俺の勉強の仲間だぞ!しっかり勉強してくれ」と言われて、いろんなことを教えていただきました。

田中角栄氏との思い出

その中で思い出深いのは、田中角栄さんとの出会いです。松尾信資(のぶすけ)さんは、新潟県の魚沼の人で角栄さんの選挙区、松尾さんも農林学校から高等文官試験を受けて役人になったという苦労人、田中角栄さんも小学校出ただけの学歴。確か、中部圏の法律を作る仕事と東海北陸自動車道の法律を作る関係で田中角栄さんのもとを訪れました。
普段、私は宴席には出ないんですが、なにせ角栄さんは、オールドパー1本空けなければ宴会が終わらない という人なので、酒のみ係りのつもりで副知事に同行しました。角栄さんは「僕は、高等小学校しか出ていないが、29歳で国会議員になり国会大学に入った、39歳で郵政大臣になった。これは大学院を卒業したようなものだ。東大出の局長や課長と互角に渡り合うため物凄く勉強した。」とおっしゃっていました。
物事を成すためには、人が必要であり、誰がその仕事に必要で適任かを見つけ、一緒に仕事にあたる 事が必要だと教わりました。「法律を作るにあたっても僕一人では出来ない、野党の人にも頼まなければいけない。春日一幸さん( 衆議院議員 民社党委員長)のところにも行け。」との助言を受けました。若いうちから、そのような人脈を築き上げることの重要性を教えられ、中部圏と東海北陸自動車道の仕事もうまくゆきました。

人物紹介

松尾信資(まつお のぶすけ)

明治39年(1906)、新潟県生まれ
新潟県立加茂農林学校卒業
昭和7年(1932)新潟県立高田中学教諭
昭和14年(1939)高等試験行政科に合格
昭和15年(1940)内務省入省
昭和22年(1940)愛知県勤務
昭和38年(1963)~昭和45年(1970)愛知県副知事

田中角栄

大正7年(1918)、新潟県生まれ
高等小学校卒業後上京、建築業を経営
昭和22年(1947)、衆議院議員に出馬し当選。以後当選回数16回を数え郵政大臣、大蔵大臣、自民党の要職を歴任後、昭和47年(1972)首相に就任。
日中国交を正常化などを行ったが、昭和49年(1974)金脈問題で退陣。
尋常高等小学校卒の「たたき上げ」が売り物で、官僚たちを惹きつけた。

春日一幸

明治43年(1910)岐阜県生まれ。
昭和27年(1952)、衆議院選挙に社会党から出馬当選。14期にわたり衆議院議員を務める
昭和35年(1960)、民主社会党の結成に参加
田中角栄(当時の幹事長)と連携して、新自民のスタンスをとった
昭和46年(1971)、民社党委員長に就任。昭和52年(1977)まで務めた

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次回は、県職員時代のエピソードについてお聞きします。

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投稿日2014.08.13 再生回数 再生時間00:00:00
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